先日宿泊した、京都のMAYA HOTELの共用キッチンの近くにフィンランド関連の書籍が30冊ほどあり、その中に発見した村上春樹の小説。単行本の裏表紙の説明書きにもフィンランドの表記が無く、パラパラとページをめくると「フィンランド」「ヘルシンキ」などの文字が。
他にも読みたい本がたくさんあったので、その場で読むには時間が足りず、スマホのメモの「読みたい本」リストに加えて、後から図書館で予約して読んだ。
物語の中心は名古屋、あるいは東京。主人公の田崎つくるが高校時代の友人たちに過去絶縁された理由をききに会いに行く物語。その一人がフィンランドに住んでいる。
季節はちょうど白夜の7月、ヘルシンキに住んでいる友人はハメーンリンナのサマーコテージに夏休暇のために滞在していることが分かり、サマーコテージまでレンタカーで向かう。
ストーリーは割愛するとして、フィンランドで会う人々は基本的にみな親切で、フィンランドの良くも悪くも田舎っぽい雰囲気が感じられた。
4泊だけの友人を訪ねるだけの旅。
ちなみに物語の中で「フィンランド」が特別なにか意味を持つわけではありません。わざわざ会って話を聞くためだけに友人を訪ねるのに「どこか遠い知らない場所」にフィンランドが選ばれたんだろうなという印象。本当のところは分かりませんが。
ただし、その訪ねた友人がそこに永住するほど馴染んでいて、その友人を表す場所としてふさわしかったのは間違いないとは思う。
昔から読書が好きだったのに村上春樹は人生で3冊め
この本で村上春樹の本は人生で3冊め。初めて読んでから20年ほど経つ。3度めの正直で普通にすんなりと読むことができた。いや、正確には前半はちょっと苦戦した。なにしろ登場人物の誰も好きになれない。で、読み終えた今、やっぱり好きになれない。
初めて読んだ村上春樹の本が『ねじまき鳥クロニクル』で、当時図書館の本を片っ端から読んでいて装丁が素敵で手に取り読みすすめるうちに、何か読みづらさを感じて洋書で翻訳本かな?と思い表紙を改めて見ると著者は日本人。びっくりした記憶がある。会話もキザだし、当時初めて本を読んで「気に入らない」と思った(ファンの方、すみません)。もちろん途中で読むのをやめてしまった。
その後は作家で選り分けて読むようになったのは言うまでもない。
その後10年ほど経ち、「気に入らない」という感情もすっかり薄れ、お酒関連の本を読むようになって見つけた『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』。旅行記だし大丈夫だろうと思ったが、これまた退屈で途中で読むのをやめてしまった。2冊読んでだめだったのだから自分はもう村上春樹を読むことはないだろうとどこかで思っていたが、フィンランドをきっかけに読む機会が訪れた。
小説で好きなのはやっぱりミステリ
小説自体は20歳過ぎまでは好んで読んでいたが、仕事に熱心になるにつれ読むのはビジネス書やその時に関心のあるジャンル、例えば北欧、心理学、健康に関する本、またはレシピ本なんかに偏っていった。
好きな小説家は森博嗣、京極夏彦、乃南アサなどのミステリばかり。森博嗣はエッセイでも何でもジャンル問わず好き。一般書はいくらでも好きなジャンルは増え続ける一方なのに、小説はいまだに好きだなと感じるのは問題が解決する分かりやすいミステリ。
ということで、3度めの正直!とはならなかったけれど、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』はとっても読みやすく、フィンランドに限らず、クラシック音楽好きも楽しめる一冊。個人的には登場人物の職業を詳しく知りたい欲求があって、主人公が鉄道の技術者にも関わらずあまり詳しい情報がなくそこは残念。(1冊完結でそこはストーリーに関係ないので当然といえば当然なので、あくまで好みの問題)
何よりミステリのあの問題が解決される感じが好きという私にとって、あのラストはありえない。ちゃんと書ききれよ、って思ってしまった。(何度もごめんなさい)
でもこういったモヤモヤを感じたのは何も村上春樹に限ったことではなくて、色んな作家に感じたので私は決まった作家しか読まなくなったわけです。
これをきっかけに色々と小説を読もうかなと思っていたアテが外れたので、今夜も森博嗣さんの本を読みふけります。大体10年ぶりくらいに読み返してるし、シリーズの途中で読んでいないものもあるので今後が楽しみ。
特に楽しみなのが四季シリーズかな。
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